現代では、性の交わりを「SEX」とか「エッチ」といいますよね。

今では死語になってますが、「にゃんにゃん」とか「チョメチョメ」とか。

「エッチ」は、「hentaiの頭文字。いやらしいこと。」と国語辞典に記述されています。

つまり、ネガティヴなものとして扱われています。

「SEX」ということばには、

男と女という、それぞれの個体、肉体があって、

その「肉体の交わり」という意識を含んでいます。

 

そのSEXの話の中で「まぐわい」ということばを見たり・聞いたりした方いらっしゃると思います。

SEXは外来語だから、日本での「SEX」の昔からの言い方が

「まぐわい」じゃないのと思われている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

「まぐわい」は「SEX」を日本語にしたものではありません。

実は「SEX」と「まぐわい」は同じものではないのです。

 

もくじ

「まぐわい」とは

性の交わりに、愛があると、全身全霊のエネルギー交流となり、

人間の7つの主要チャクラをつかさどるエネルギーが

お互いに浄化されることになるのです。

互いに心も体も融け合って一身同体になるのです。

これが「まぐわい」です。

これでは抽象的すぎて意味がわからないかもしれません。

 

性の交わりに愛があれば、まぐわいになる?

では、愛があれば、性の交わりはなんでも「まぐわい」になるのか?

いいえ、それは違います。

人間が、性の交わりを行う場合、

生殖のため、快楽のため、射精目的で行われることが多いと思います。

これでは、下半身だけのものとなり、全身全霊のエネルギー交流とはならないのです。

この全身全霊のエネルギー交流となると、

女性がエクスタシー

(オーガズムというよりもこのことばのほうが合っていると思います)に

達したときに、ふわっ~としたエネルギーが生じるのですが、

そこに男性が巻き込まれ、男性も同じようになることで、

お互いのエネルギーの良い交流が起こり、

本当の快感、至福感が味わえるのです。

 

まぐわいに不可欠な愛とは

性の交わりに、愛があると、全身全霊のエネルギー交流となり、

互いに心も体も融け合って一身同体になる。

このことについて、書きましたが、

では、まぐわいに不可欠な「愛」って?

そもそも、「愛」って抽象的なものですね。

人によってその「愛」のとらえ方ってさまざまだと思います。

もちろん「愛している」って言うことだけが、愛じゃないですね。

実はこのまぐわいでの愛は、

「ラポール」といわれるものと考えるとわかりやすいと思います

ラポール・・・相互信頼感、心でつながる

まぐわいは二人で成し得るものですから、どちらか片方の信頼だけではダメなんです。

 

まぐわいの本来の意味

さて、まぐわい の本来の意味を

まぐわいは、「目合ひ」と表現されていました。

目と目とを見合わせて愛情を通わせる

つまり、性の交わりよりも、

この目と目とを見合わせることがまぐわいの本質なのです。

目と目とを見合わせることで、心でつながる

そこに性の交わりが伴うことでお互いが一つになる。

この性の交わりは、何も性器の結合でなくてもいいのです。

ハグであっても、結合し、目と目とを見合わせる。

目と目とを見合わせることで、心でつながる。

さて、心ってどこにあると思います?

心=ハートということで、心は心臓にあるという人もいます。

でも心臓に意識や感情はありません。

では、どこでしょうか?

これもはっきりとした答えは出せないと思いますが、

まぐわいにおいては、総合中枢となる脳(間脳視床下部)になると思います。

目と目とを見合わせ、脳を癒す、脳を気持ちよくさせることが、

まぐわいでのエクスタシーの前戯となるのです。

普通に性の交わりをもつ場合、

愛があって、SEXがあって、まぐわいになるというのが一般的ですが、

SEXから始まり、ラポールの状態があり、

まぐわいになるということもあり得るわけです。

 

どうしたら、SEXがまぐわいになるのか

「でも、愛のあるSEXをしているのに、エネルギー交流にならない。

愛が足りないのかな?それとも、別の何か足りないのかな?」

と思っている方がいらっしゃるかもしれません。

 

あなたのSEXの目的はなんですか?

男性が射精すること、射精させることが目的となっていませんか?

「えっ、だってSEXに射精って不可欠でしょ?」

多くの方がそう思ってますよね。

射精は、男性の性欲の解消、

そして、エネルギーの「放出」であり、「交流」とはならないのです。

さらに、射精を意識していることが、

愛=ラポール=心のつながり を二番手としてしまっているのです。

射精が愛に勝ってしまっているのです。

まずは、射精を意識しないSEX、射精なんてどうでもいい、と思うことです。

 

まぐわいは、性器の結合さえもいらなくなる

実は、まぐわいは何も、性器の結合をしなくていいんです。

つまりSEX、ペニスを膣に挿入するということさえもしなくてもいい。

だから、ED(勃起不全)でも、避けなくていいんです。

そして、裸にならなくてもいい。

7つの主要チャクラを刺激して開くため、二人でマッサージをする、

タントラヨガのメソッドを行う。

これも着衣のままでもOKなんです。

大事なのは、相手と体を合わせる、密着させ、

目と目とを合わせる。

何がなんでも性的な状態やSEXする雰囲気に

もっていかなくてもいいんです。

体と心と両方がお互いにつながる。

それで心地よくなっていけば問題ないのです。

 

そして、そこから、エネルギー交流をしやすくします。

そのためには、まず女性、男性、それぞれのエネルギーが滞っていては意味がありません。

それぞれのエネルギーを循環しやすくさせるために、

居場所の環境を整える

体をリラックスさせる

考えごとをしない

雑念を取り除く

 

エネルギー交流をするためにいちばん効果的な方法

このためのいちばん効果的な方法は

「瞑想」すること

特に、まぐわいにおいては、2人でする「タントラヨガ瞑想」が効果的です。

そして、「タントラヨガ瞑想」から「タントラヨガSEX」へと移行していきます。

ゆっくりと時間をかけ、

射精や逝かせることに固執せず、

ふれあいながら、目と目とを見合わせ、

体も心も寄り添う。

それがまぐわいへとつながっていきます。

 

ちかごろ、「性愛」の理論について、学ぶ方が多くなってきました。

その理論は、最初から理論ありきではなく、

体験をもとに、言語化したものです。

ところが、性の理論を学ぶという場合、

それで、頭でっかちとなり、体験が伴っていないため、

理論はわかっても、「体得」できていないことが多いのです。

オーガズム(エクスタシー)、まぐわい もそうです。

性愛については、

「体得」体験し、自分自身で腑に落ちること

がなければ意味がないのです。